幸せのものさし

親のいない子。


親から虐待を受けている子。


その二人が「親がいていいね。」「親がいなくていいね。」と喧嘩していたら、僕はどうするだろう。どっちが正しいだろうか。どっちが間違っているのだろうか。


親のいない子からすれば親がいることは幸せで、虐待を受けている子からすれば親がいないことは幸せである。


親がこの世に生きているだけまだやりようがある、そう考える人もいるかも知れないけれど、本当にそうだろうか。本人の立場で考えた時、本当なら愛してくれるべき人から愛されないことは、親がいないことよりも辛いかもしれない。


この考えは、その立場に立ったことがない僕の想像にすぎない。




自分は正しいことを言ってるのに、相手が分かってくれないから永遠と平行線を辿る。今までそう思うことが何度もあった。


でも正論は一つとは限らない。


人はそれぞれ違う経験と思考を持つ。それらに基づく正論が人それぞれあって、それらは本人にとっては間違いのないものである。


正論と正論がぶつかればどちらかが折れるまで議論は終わらない。


相手の立場になって相手の考えをたどる。それができれば無駄な争い、主題からそれた感情のぶつかり合いを避けられると思う。


それができないから自分の価値観、考え方の押し付け合いになる。


人には人それぞれの幸せのものさしがある。


お金持ちにしても、貧乏な人にしても、それぞれの幸せの定義がある。高価なものを買うことが幸せだと思う人もいれば、ご飯をたべれることを幸せだと思う人もいる。大企業に就職できれば幸せだと思う人もいれば、勉強できることを幸せだと思う人もいる。


自分のものさしで他人を勝手に不幸と決めつけて可哀想と言う。これほど、傲慢なことはない。




幸せは本人が決めること。